自分の自殺を自分で止めるブログ

「死にたい」に逃げたくなります

らくちんじんせいにしたい

どうして願いは叶わないのか?|卯野たまご|note

 

 

これ読んでた

 

 

わたし、別に、死にたいわけじゃねーわって、これ読んでたら気がついた

 

 

しにたい、は

望みでもないし、願いでもない

 

愚痴の一種

厨二病じみた単語を使った愚痴

 

 

だって、そもそも、死んだらどうなる?って誰にもわからない

 

死んだら幽霊になって、閻魔様の審判が終わった後は永久に全裸で踊り続けながら日本一周とかしないといけないかもしれない(そんなわけないだろ?!と言いつつ死んでないから否定できないはず…)

 

つまり、死んだら、なんか嫌なことを延々やらされるかもしれないってことで、

 

死には、不確定要素が多すぎる。だから、「死にたい」を、願いや望みにするのはおかしい。そもそも、これは、願いでも望みでもない

 

 

では、私の願いは何か?

 

「生きるのが辛いので、苦しさから解放してほしい。辛くない毎日を送りたい。お金の余裕がある生活がしたい。そのために、世界はもっと平和で豊かで、みんなに余裕のある安全な場所になってほしい」

 

おおまかには、こんなとこか

 

 

私の望みはなにか

「らくをさせてくれ」?になるのか?うーん?

 

わたしが病気になるのを望むのは、単純には、仕事に行きたくなくて、家事もしたくなくて、育児も嫌で人付き合いも嫌で…つまるところずっと寝てても許されたいからだ

正直ずっと寝たままというか、ノートに物は書ける程度の病気で死なない程度の病気でいたらめちゃくちゃ楽で誰にも怒られないし、生きていく上での仕事だとか雑務から解放されたりもしちゃうから(苦しめるかもしれないけど怒られはしない)病気になりたいとか不幸になりたいとか思っちゃう、あ、これは、「望み」の方になるかも

わたしは、わたしに病気であることを「望んで」いる

あまりに悲しすぎない?そのうえ倫理に反してない?

 

そもそも私は、何に怒られたくないの?

世間、職場、家族、友人、あと自分

 

 

つまり、わたしの望みは

「ずっと寝たきりだとしても愛されて許される存在でありたい」

 

これかな?

 

そのために出来ることが

「自殺」しか思いつかなかったんだな

 

うん、自殺して、死ねば、ずっと寝てられるもんな。永遠にな。

 

でも自殺は怖いし、成功率低いし、不確定要素多い

 

うーん、だったら、自殺以外に、なんかないか考えたらいいのかな

 

 

たとえば「存在給」をあげる

心屋さんみたいな

 

経営者的なのになって、お金を沢山儲ける!

 

身体を売る!のは失敗かな

 

〇〇!

犯罪はやめような

コスパが悪い

 

 

うん、自殺以外を、また、いくつか挙げてみような

 

おやすみ

 

 

追記

今年の9月に人生が辛くないと困るのはわたしだ、私自身が人生に辛さを望んでいるという意味の記事を書いた

「つらくないと、困るんだろ?」 - 自分の自殺を自分で止めるブログ

 

あのときはわかってなかったけど、詳しく書くと以下の通りになる

 

【私は例えば寝たきりで何の役にも立たなくても怒られない自分、愛される自分でありたいと望んでいる。そのためには健康な身体や精神、恵まれている人生は邪魔になってしまう。なぜなら、それらをもっている人間は働いて当然とされ、仕事や雑務にも高いクオリティを求められたり、恵まれた境遇は運悪く不幸な他人から妬まれたりするからだ。誰からも愛されるためには、治らない病気、恵まれず周囲から可哀想と思われて励まされる過酷な人生が必要だ。分かりやすく不幸だとより良い。だから私は不幸でないと困るのだ。私の人生はよりいっそう不幸であれと望んでしまうのだ】

 

長いな

そして酷いな

 

 

でも、こういうことだ

 

こういうメカニズムだ

 

ああ、よくわかった…いや?ほんとに?これで全部かしら?いや、少なくとも、わけもわからず不幸を願ってたときよりは、入り口が見えてきて、ゴールに近づいている感覚はあるぞ。いい感じだ。

 

前回の記事からたった2か月でここまで進むとは優秀だ。偉いぞ。なんか加速してるぞ。気持ちがいいぞ。いいことだ。いいことだ。

 

久しぶりに色々書けて嬉しい

ありがとう、自分

 

 

明日からやること

・もっかい、存在給あげる方法の本を読み返す

 

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さらに追記

 

ていうか、そもそも、

なんで「愛されたい」んだ?

 

→「愛されてない」と思っているから

私は、頑張らないと愛されないから

 

→いや、実は、いまもうすでに家族には愛されているのでは?

存在しているだけで、愛されているのでは?

 

→え?そうなの?

 

→今回の件、もしかして、私の価値観の根本をひっくり返す作業になっていくのでは?

 

・やること

→人生は証拠探し(YOKOさんのyoutubeの言葉を引用)なので、明日から、

「私はそこにいるだけで愛される存在だ」の証拠をどんどん集めていく

 

証拠の例、とくになにもしてないが誕生日にキャラメルをもらった

親に寝る場所や食べ物や現金をもらった

家があり、夫と子供が一緒に寝ている

このひとたちとは夕飯を一緒に食べた

というか、今ここに生きてるってことは、私という存在が、宇宙に、ここにいていいよと!愛されてる証拠じゃないか!宇宙に!神に!あ、じゃあもう大丈夫だわ!わたしは宇宙に愛されてるから!わたしだけじゃなくて、我らは神の子あなたも僕もと、幼少期から習ってきたじゃないか!そうだ!そうだった!なんでこんな簡単なこと、わからなくなってた!そうだよ!私は神の子、あなたも神の子!それだ!つながった!私もあなたも宇宙に愛される、神に愛される!神の子!よし!これで解決!宇宙とも繋がれた!大丈夫!あとは寝るだけ!よし!

 

 

これで!なんかしらんけど、お金には困らなくなる!(って存在給の本に書いてあった!)

 

よし!大丈夫!今年中には!いや!今月中!今週中!いや!もう!たった今!この瞬間から!なんかしらんけど!全て!うまくいく!大丈夫!よし!書き換える!かきかわる!なぜなら!私は!私たちは!宇宙に愛されているから!